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2019.10.27

ドリフト(D1/IDC)

D1 History 川畑真人編

D1イチの人気者を掘り下げる

2007年、2013年、2015年と3度にわたりD1シリーズチャンピオンを獲得している川畑真人が、いかにして現在のポジションを築いて来たのかを探ります。
川畑真人ヒストリー。

現在のD1選手の多くがそうであったように、川畑選手も16歳からバイクに乗って峠を攻めていました。

ドリフトを始める一番のきっかけは土屋さんでした。

18歳で初めて買った車は180SX。

師匠である黒井さんとは、高校生の時出会って、いろいろなところに連れて行ってもらいました。

19歳で初めて出たドリフト大会で優勝しました。
22歳くらいで色々な所で走ってみたいと思うようになったけれど、なかなかうまくいきませんでした。

D1GPは全国的にメジャー選手でないと出れませんでした。そんな当時、ビデオの企画で谷口信輝と出演していました。内容はシャコタン企画でした。

その後、アドバンドリフトミーティングで優勝してD1GP参加券をゲットします。

それをきっかけにD1GPへ参戦するも、予選落ちが一年続いてD1出場資格が無くなりそうになります。が、ギリギリ2003年第3戦富士の予選通過でクビの皮一枚つながりました。

D1GPへの転機は2004年にGPスポーツに転職して、チューニングパーツメーカー「トラスト」のワークスドライバーに抜擢されたことです。

2005年には追走にもコンスタントに出られるようになりました。

2006年第7戦富士でラウンド初優勝を遂げます。

次の転機は2007年第2戦富士での斎藤大吾との大クラッシュ。これで乗り慣れた愛車が廃車となります。

次戦から投入された2号機で、最終戦富士まで優勝争いを行い、見事シリーズチャンピオンを獲得します。

2013年には、2度目のシリーズチャンピオンを獲得します。

2014年シリーズチャンピオンの肩書をひっさげ、トラストワークスへ復帰します。D1GP初投入となる「35GT-R」の開発へと着手してくことになるのです。

2014年3度目のワールドチャンピオンを獲得します。現在もGRスープラでD1GPに参戦する川畑真人に、これからも注目してください。

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