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クルマのオモシロ映像満載!
2014年SUPER GT第4戦菅生で優勝した織戸学の特集をお送りします。
織戸学自ら、当時のレースパートナー「ランボルギーニ」を熱く語ります。
織戸が小学生の時に「スーパーカーブーム」がありました。
男の子は遊ぶことといえば小さな消しゴムのスーパーカーを学校の机の上で飛ばして遊んでいました。
近所のデパートにスーパーカーがくるといえば友達と見に行きました。
そこで出会ったのが「ランボルギーニ」でした。
「いつか大人になったら乗るんだ!」そう言う少年時代でした。
2011年レーサー人生としても後半に差し掛かった時、ランボルギーニに乗ることになりました。
今自分の中の憧れが手に入って、すごく楽しい時期でした。
そして、第4戦菅生で優勝できて、自分の人生の中で「自分の人生の1ページに入った」と感じたのです。
悪天候で予選が中止される中、波乱のスタートとなった第4戦。
対戦相手はお馴染みのこんな面々。
織戸の相方は青木孝行。
波乱のレースを優勝した要因はなんだったのか?
スタート直前まで降っていた雨があがり、フォーメーションラップに入る頃にはだいぶ路面が乾いてきました。
当初各チーム、レインタイヤで行くかスリックタイヤで行くか悩んでいましたが、ほぼ全チームがスリックでレースをスタートしたのです。
しかし、スタートするとまた雨が降り出します。予報はどんどん雨が強くなるというものでした。
僕らのチームは賭けに出ました。
よく「菅生には魔物がいる」って言うんですけど。
僕にとって「今日は天使が降りてくる」っていう気がしました。
スタート直後の雨で、各チームピットインしてレインタイヤに交換します。
そんな中、織戸チームはスリックを選びました。
菅生はよく雨が降るサーキットですが、ドーッと降り続けることはあまりありません。どちらかと言うと降ったり止んだりが多いサーキットなのです。
スリックのままスタートを務めた青木が走り続け徐々に順位を上げ、次第にドライ路面になっていきました。
もしかしたら?
優勝するかもと思ったのはレース3分の1の頃。周りの状況を見ていると優勝できる可能性が高いと感じました。
青木は淡々と順位を上げ2番手で織戸にバトンをわたします。
織戸はタイヤを替えず、とにかくピットタイムを最短にしてコースに戻りました。
ついにアストンマーチンを抑えてトップに立ちます。
織戸の読みは「後半また雨が降ってくる」。
ピットインするか悩みましたが、織戸はドリフトの経験を生かして滑る路面をなんとかコントロールしながらトップでゴールすることができました。
レースを振り返ると。
雨が強くなってきた状況で、ピットから青木選手が興奮気味で無線を飛ばし続けてきます。
ピットから青木選手が後続とのタイム差など無線で喋り続けていました。
しかし、青木の無線を半ば無視し続けながら集中して周回を重ねる中
再び青木の無線が飛び込みました。
その瞬間、ブレーキタイミングをミスってコースアウト。
レースが終わって、まずはほっとした。
チームに対してなかなか優勝というプレゼントができずにいたので嬉しかったし、これからが楽しみになりました。
ランボルギーニ は世界中にたくさんのファンがいてランボルギーニ による繋がりや友達が増えていきました。
海外のレースに参加したり。
CAR GUYメンバーとの交流や走行会などでドリフトレッスンの講師などを務めるようにもなりました。
国産の車にはないオーナーのつながりや思いが魅力なんだと。
そんなドリフトレッスン会場にお邪魔しました。
そして、あの「ムルシエラゴ」に同乗しちゃいました。
本当に楽しそうにドライブする織戸。
青い空とランボルギーニ。
あまりに嬉しそうな織戸にV-OPTが一言。「自分のじゃねーぢゃん」
ドライバー織戸学は本当に幸せな人生を歩んでいると思います。
いろいろな事があったが自分の目指した道を歩んでこれた。それができたのは自分一人の力ではなく周りの人の力、協力、助けがあったから、今の僕がある。
自分のドライバー人生は何があっても車に携わることは楽しんでやりたい。
「織戸学は何をやっても楽しそうでいいね」というエンターテイナーで生きていきたい。
でもね、趣味は料理とバイクね。
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